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大阪地方裁判所 昭和40年(ワ)4601号 判決 1968年12月24日

原告 興生産業株式会社

右代表者代表取締役 巽義郎

右訴訟代理人弁護士 児玉憲夫

被告 加藤守彦

右訴訟代理人弁護士 藤上清

主文

被告は原告に対し、金五〇六、二八五円とこれに対する昭和四一年三月二九日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は三分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

この判決中第一項に限り、原告において金一七万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、被告が訴外会社の代表取締役として昭和三九年一〇月三一日就任し、昭和四〇年八月一五日辞任したものであることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、右辞任の登記をしたのは同年八月三〇日であることが認められる。

二、原告は訴外会社と砥石等の取引をなし、その代金支払方法として訴外会社代表取締役被告振出しの本件手形額面合計金九二二、五七五円の交付をうけ、その内(一)手形をその支払期日である昭和四〇年八月三一日に支払場所に支払のため呈示したが支払を拒絶されたこと、及び原告において現に本件手形を所持していることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、訴外会社は昭和四〇年八月三一日頃約二、〇〇〇万円の債務を負担し、その支払不能により倒産し、同年九月八日に第一回債権者集会が開かれたこと及び本件(二)乃至(八)手形はいずれも支払期日に支払を拒絶されていることが認められる。

三、≪証拠省略≫を綜合すると次の事実を認めることができる。

(一)  木村清司は昭和三七年頃大東研磨材株式会社を設立して研磨材の製造販売業をしていたが、手形の不渡を出して銀行取引停止処分をうけたため、自己の名義では取引が出来なくなり、そこで代表取締役に人材を得て新会社を設立し、その営業を継続しようと思い立った。昭和三九年一〇月頃今里胃腸病院の副院長で大阪市立大学医学部の外科学講師をしている被告に右事情を話して、訴外会社の設立につきその代表取締役に就任することを懇請したところ、被告は木村の妻の兄が先輩医師であることもあって、名前だけ貸してくれればよいとの木村の右依頼に応じ代表取締役に就任した。

(二)  被告は就任のはじめから経営に関与する意思はなく、自己の印鑑や印鑑証明書などを木村に預け、訴外会社代表取締役たる自己名義の手形を振出す権限をも委ね、会社にはほとんど立寄らず一切の業務執行を同人に任せきりにし、時に取引先を紹介することはあったが、訴外会社の経営状態につき報告をうけることもしなかった。その間木村は訴外会社と原告との取引を担当して来たが、訴外会社は設立当時から資金面に無理があり、町の金融業者から借入れた金銭に対する利息の支払や大東研磨材株式会社時代の旧債務の支払に追われて経営が苦しく、その上昭和四〇年になってからは取引上の利益率の減少なども加わり極めて苦しい状態となり、遂に昭和四〇年八月三一日に至って不渡りを出して倒産した。

(三)  原告と訴外会社との取引は、毎月二〇日締切り翌月一五日払の約定で昭和三九年九月頃より始まり、月五、〇〇〇円から三万円までの現金取引であったが、昭和四〇年からは手形による取引となりかつその取引額も増加し(本件手形は昭和四〇年三月一五日から同年八月二七日の間に振出されている)、本件手形の内(七)、(八)手形の取引に該当すると認められる同年八月七日においては代金七八三、九〇〇円の研磨材を購入しているのであり、しかも右取引から一ヶ月未満でかつ右(七)、(八)手形の振出日(同年八月二七日)から数日後である同年八月三一日には本件(一)手形を不渡りとし、前記のごとく倒産し再起不能となり、結局原告は本件手形金合計九二二、五七五円の回収が出来なくなった。

以上の各事実を認めることができ(る。)

≪証拠判断省略≫

四、以上の各事実によると、訴外会社は当初よりその資産状態が不良である上、昭和四〇年三月頃には極めて悪化していたものと推認され、それから五ヶ月を経過した八月末に不渡手形を出し再起不能となったこと、それにも拘らずその間原告との取引は急速に増加し本件手形を順次振出していることの事情を考え併せると、木村清司は訴外会社が本件手形を満期に支払うことができないことを容易に予見し得たにかかわらず、敢て原告と取引量を増加して取引し、その結果本件手形の支払不能により原告に対し右手形金九二二、五七五円に相当する損害を蒙らしめたものといわざるを得ない。ところで、被告は訴外会社の代表取締役として会社代表及び業務執行を掌理する機関として常に善良なる管理者の注意をもって会社の営業及び財産状態に意をもちい、会社の利益を図り又会社使用人を指揮監督すべき義務があるところ、前認定のように訴外会社の業務一切を木村に任せきりとし、その結果木村をして前記の如く原告に損害を蒙らせることが十分予測できる取引を敢てなすに至らしめたものであって、その上訴外会社設立に至った経緯、被告が代表取締役に就任した事情などから被告は訴外会社の経営状態が当初から不振であったことを十分了承していたものと考えられること、木村は既に会社経営に失敗し銀行に対する信用を失なっていたものであること等を考え併せると被告は代表取締役として会社の営業及び財産状態に意をもちい、木村のなす取引行為を監視しその過失又は不正行為を未然に防止すべき義務を著しく怠り、自己の職務を行うにつき重大な過失があったというべきで、ひいては原告に損害を与えたものといわざるを得ない。

被告は、木村は会社経営の経験者であり、自分は全くその知識を有しないから、木村に経営を委ねたことは当然のことで何ら過失はないとか、原告は木村を信用して取引したものであるから偶々被告が代表取締役であったことと原告の損害との因果関係がない旨抗争するが、かかる事由は被告の代表取締役の職務懈怠の責を免れしめる法律上の理由とはならないから右は採用しない。

次に被告が昭和四〇年八月一五日辞任したこと、その登記は同年八月三〇日なされたことは前判示のとおりであるが、取締役が一旦辞任するときはその登記前であっても、会社に対して取締役としての職務執行上の義務を負うものではなく、かつ取締役としての職務の執行をすることもできないものであるから、原則としてかかる者に商法二六六条の三に規定する責任を負わせることはできないと解する。

しかし、本件の場合、被告が辞任した後に振出された本件(六)乃至(八)手形は、前認の如く辞任する前の取引に基づくもので、その支払方法として振出されたものであり、かつその振出名義は代表取締役被告名義であるから外見上辞任後も代表取締役の職務を執行していたものと認められるから、商法一二条の趣旨に照らし右各手形による損害についてもなお被告に責任があるというべきである。

よって、被告はその取締役としての職務を行うにつきなした重大な過失により原告に蒙らした損害九二二、五七五円の賠償をする義務がある。

五、ところで、本件の如き商法の規定によって課せられた特別の損害賠償責任に対しても、損害の公平な分担を原則とする過失相殺の規定の適用はあると解すべきところ、被告の「原告は訴外会社の代表取締役が誰であるかなどにかまわずただ木村を信用して取引をなし、取引量の増加はむしろ原告よりの申出によるものである」旨の主張には原告にも過失がある旨の主張を含むものと解するので、この点につき更に判断を加える。

≪証拠省略≫によるも、取引量の増加したことは原告の積極的な購入方申入によるものとは認められないが、原告は本件手形の名義人で訴外会社の代表取締役である被告が実際の取引に関与していなかったことを知っていたものと認められ、このことに前認定の昭和四〇年からは現金取引であったのが手形取引に変ったこと、次第に取引高が増加して昭和四〇年八月七日には七八三、九〇〇円となり、本件手形金合計の約八割を占める取引を一日でなすに至っていること、その頃は訴外会社の経営状態は極めて悪化していたことなどの事情を併せ考えると、原告にも訴外会社の経営状態や資産状態並びに会社の実体などの調査を怠り、木村のみを信用して取引した点に過失があるものといわねばならない。そして右過失の点を考慮すると、原告が被告に対し請求できる損害額は六四五、八〇〇円をもって相当と解する。

六、しかして、原告は訴外会社の破産管財人より受けた配当額及び将来受けることが予想される配当額の合計として一三九、五一五円を損害額より控除することはその自認するところであるから、原告の被告に対する本訴請求は右六四五、八〇〇円から一三九、五一五円を差引いた残額五〇六、二八五円とこれに対する本件手形の最後の支払期日の翌日である昭和四一年三月二九日から支払済に至るまで民事法定利率の年五分の割合による損害金の支払を求める限度において理由があるので認容してその余の請求を棄却し、民訴法九二条、一九六条を適用の上主文のとおり判決する。

(裁判官 中田耕三)

<以下省略>

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